2007.10.28
記念誌発行によせて頂いた、唐十郎氏寄稿

【旅・心の風景】高円寺
狭い路地を巡り歩けば
唐十郎

路商店街の広告スピーカーから、間の抜けた音楽が鳴り、いくつかの店を紹介しているのだが、その中の麻雀屋の広告にさしかかると、どうしても、耳がこそばゆくなる。「うちのお客様は皆、上品な方ばかりです」といっているからだ。その上品な方々の顔を見たくて、僕は高円寺駅前の北口マーケットを歩き回る。が、いまだに入ったことはない。ラーメン屋の二階らしきその店を見つけたが、麻雀の出来ない僕が階段を昇っていく理由もなく、上品な顔の正体をさがす目的じたいが、それほど情熱を傾けるものでもないからだ。

ロータリーの側からみると、そのマーケットの入り口はレコード屋と八百屋の間のせまい路地である。
雨が降ると、山積みした野菜が濡れないようにシートのカバーが伸び、隣のシート屋根と段差があるから、流れ落ちる雨は段だらに揆(はじ)けて、どこから洩れてくるか分からない。
傘を広げると、一人分しか通れないさまさのために、向かってくる人とぶつかると、そこだけ立ち往生する。中程まで入ると路地は左右に、更にせまくなる。右に曲がると乾物屋から、味噌漬け、キムチ専門店などの一画につながるが、左に曲がると、トリスバー、沖縄料理店などのやや暗い軒並みにつづいてそれをまた右に曲がると日本一安い理髪店に着く。その理髪店の理髪師は八人もいて、歳は中年が主である。口数少なく、やや無愛想だが、手さばきは速い。話しかけても長くは対応しない。八人もいるのに、これほど静かな理髪店は入ったことがないが、一人のバリカンが差し上げられるとセビリアの理髪師のオペラがはじまりそう。ここが、土曜日になると満員になり、同時にマーケットの路地はつっかえるほど混雑しはじめる。乳母車を引っぱった老婆などもいて、その錆びた車にはタクワンが一本のっているだけだった。
人が何を買いたがっているのか分からなくなったらこの市場に来ればよい。

からじゅうろう
作家、演出家。1940年、東京生まれ、60年に状況劇場を旗揚げ、新宿花園神社に紅テントを建て「腰巻きお仙」などを上演。『佐川くんからの手紙』で芥川賞。著書に「特権的肉体論」など。
出典朝日新聞平成10年10月29日夕刊
純高円寺銀座商店会協同組合設立40周年記念誌より

TOP